ペットだって長い間一緒にいるとそれが当たり前になって、そこいるのが当然って感じになるんです。
犬一がそうでした。
ほとんど友達のいないヤカーにとっては一番の友達でした。
11年間も散歩に連れて行き続けたらその行為その物も当たり前の生活になります。
帰ってからご飯をあげたり花火の音や雷にビビって甘えてきたり、それは当たり前のことだったんです。
日々が意識すること無く坦々と過ぎると言うことは、幸せの一つの完成形かもしれません。
当たり前が当たり前で無くなる時、人はその日々を意識してなかった分それがどれだけ不幸で悲しいことかを知るんです。
最近元気の無い犬ちゃんは病気でした。
リンパ腫という癌でした。
もうこんな宣告を聞いたときは腹が立ちましたね、自分に。
気をつけて見ていれば確かにその兆候はあったのに見過ごしていたんです。
ご存じの通り、癌は発見が遅いほど助かる見込みが少なくなります。
しかもリンパ腫ですからね、進行は早いです。
可愛がってるペットの異変も見抜けない飼い主など最低です。
こんな事を思っても後の祭りでしたが・・・。
坦々とした日常は幸せだと言ったけど、それは不幸と隣合わせを意味していました。
注意力や緊張感を欠いた日常はるで爆弾のように突発的な不幸をもたらします。
気をつけていれば見えた物なのに、見ようとしないから直前まで危機に気付かないんですね。
日常が盲目的になると言うのは、地雷の平原を歩いているのと同じでした。
長く一緒に散歩したこの道も、それが出来る時間が少なくなってきていました。
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